僧侶になるには、まず師僧(師匠)のもとで弟子として得度(※)します。
父親を師僧として得度する お寺の息子さんなどが多いのが現状ですが、
私は、三人の師僧と出会いました。
一人目の師僧は、我が学友の父親です
この師僧は、私を僧侶の道に導いて下さいました。
ご本人のなんとも素敵な雰囲気「美を求める姿」「人を喜ばせる演出」等々・・
実は、ご自身が美術系の仕事から僧侶の道へ進まれたとのことでした。
しかしながら、私が本格的に僧侶の修行を始めた直後に病に倒れ
長期の療養が必要となってしまい、師弟関係の継続が困難になってしまいました。
事実上、師僧を失い 途方に暮れる私に
「よければ、私が師僧として面倒みるよ」
と声を掛けて下さったのが第二の師僧です。
二人目の師僧は、次々と境内整備を進める大変アクティブな方で
その師僧のもとで 僧侶としての基本的修行をさせていただき
さらには、数々の修行・研修等々に参加させていただきました。
数年間を過ごした頃、師僧の計らいで
大本山池上本門寺へ勤務する事になりました。
同時に私の叔父へ師僧を変えることを薦められ
叔父が第三の師僧になりました。
三人目の師僧は、弟子となった私に
「貴方には、もう何も 教える事はない・・・・
色々と学び修行も終えてすでに本山に勤務している身だから
今更 言う事はない、ただ一つだけ伝えたい事は
けして 大勢の人を救おう等と思うな たった一人でいいから、
お上人のお陰で助かりましたと心から言ってもらえる方をつくりなさい」
と言われた。当時20代半ばの私からすると・・・
日蓮宗の僧侶として大勢の方々を救う事が使命と考えるところがあり
その時は 叔父は何が言いたいのか? と疑問と若干の反発心を感じていた。
その後、僧侶として色々な方々と様々な場面で出会い、色々な相談事や
喜び悲しみを共に経験する度に 師僧の言葉がなぜか頭をよぎり
「あっ 師僧が言っていた たった一人 の一人がこの人か?」と思い
そして、目の前の方と真剣に向きあってきました。
気がつけば、出会うすべての方々と真剣に接するようになり
数年前に やっと師僧の言葉の意味深さに気づきはじめました。
縁を大切に、日々真剣に人と接する!
この師僧はすでに遷化しましたが、師僧の言葉は今も私の中で生き続けています。
三人の師僧との出会により 今があります
『知恩報恩』=恩を知り恩に報いる
と言う言葉があります。
各師僧をはじめ お世話になった皆様に感謝し
少しでも報いる事が出来るように 小寺にて日々出会いを大切に
過ごしてまいります。
※【得度】は仏教における僧侶となるための出家の儀式