小寺の住職経歴
出生~幼少~学生時代
昭和40年10月 世田谷区北烏山で産まれる
小学校1年生の時、昼間まで共に遊んでいた友人が急死する。
いま思えば、この頃から命について考えるようになったのでは…。
昭和56年 3月 立正中学校 卒業
中学時代は、小学生より続けていたテニスの練習&試合三昧の日々を過ごす。
同時に、授業にて宗教を学び興味を持つ。
昭和59年 3月 立正高等学校 卒業
高校時代は山岳部に所属し、国内各所の山に登る。高校2年夏には、日本の
高校生としてはじめて中国に海外遠征し、天山山脈の剣石Ⅱ峰に初登頂する。
この時の我が姿を見ていてくださった師匠より、後に「秀岳」の名を頂戴する。
昭和62年 3月 立正大学 仏教学部宗学科 卒業
大学進学時に仏教学部宗学科を選択。しかし、同学科は大半が僧侶を目指す
寺院御子息で、私のように在家出身者は授業についていくのに必死の日々。
解らぬことを学ぶため、友人の寺(横浜妙秀寺)へ頻繁に出入りをする。
(実際は学ぶより 遊んでいる時間が長かったような…)
この学友父の勧めもあり、妙秀寺住職師匠のもとで僧侶への道を歩み始める。
修行歴
昭和62年~平成3年
師匠が病に倒れ、師匠友人の法性寺(横浜市)住職が新師匠となって
私を引受けてくださり同寺にて住込み修行をする。
この時代に僧侶としての基本を学び、さらには各修行をさせていただく
有り難い機会に恵まれ、多くを学ばせていただく。
昭和63年 8月 第二期 信行道場 修了
平成 2 年 6月 ~ 11月 布教研修所 入所
平成 2 年 布教院 入院
いまだ 日々修行中です
職歴
平成3年4月~平成21年12月 大本山池上本門寺に勤務
師匠の勧めで大本山池上本門寺に役課として勤務する
勤務中は、参拝部~事業部(朗峰会舘支配人)として奉職する。
また、イキイキ推進委員会事務局長として現代布教の形を模索し
コンサートや各種催し企画実行する
平成21年 8月~ 神野寺第三世住職に就任し寺院再興を目指す